TOP PAGE > 水紀行 > 東京その壱 亀戸



水紀行 - 東京その壱 亀戸


亀が井 - 水紀行(東京その壱亀戸)


 東京東部の下町は、縄文時代の地図では縄文海進により奥東京湾となっていますが、弥生時代にはすでに島ができ、弥生式土器も発見されているそうです。
 亀戸周辺には島がつく地名がたくさんあります。向島、牛島、大島、柳島など。亀戸もかつては亀島もしくは亀津島と呼ばれる島だったそうです。そんな歴史ある土地「亀戸」が今回の訪問地です。
 まずは亀戸香取神社へ。そして境内にある復活した亀が井。さらに当日は「勝矢祭」の日で、武者行列を見学。その後、藤まつりが行われている亀戸天神へ、最後は亀戸水神社へと向いました。
亀戸香取神社と亀が井

亀戸香取神社御社殿  亀戸香取神社参道

 蔵前橋通りから一歩足を踏み入れ参道をしばらく歩くと鳥居と鬱蒼とした木々が見えてきます。亀戸駅から歩いて10分ほどにある場所とは思えません。

亀が井  恵比寿神と大黒神

 かつてこの地には臥龍梅庭内に「亀ケ井」と呼ばれる井戸があったそうです。亀島もしくは亀津島が亀戸という地名になったのは、この「亀ケ井」と混同され亀井戸と呼ばれるようになったという説もあるそうです。そのくらい有名な井戸だったのですね。
 失われたこの井戸は、亀戸香取神社とその氏子の方々のご尽力により亀戸香取神社境内に再建されました。汲み上げた水は、恵比寿神と大黒神の前の甕へ注がれています。

※この井戸の水は、飲用ではなく御神水として恵比寿神と大黒神に注ぎ幸せを願うためにあります。水量も僅かで、飲用には適していません。
亀戸香取神社の勝矢祭

勝矢祭その壱  勝矢祭その弐

 毎年5月5日に勝矢祭が行われています。
 天慶の昔平将門が乱を起こした時、追討使俵藤太秀郷が亀戸香取神社に参籠し戦勝を祈願し戦いに臨んだところ、目出度く乱を平らげたので神恩感謝の奉賽として弓矢を奉納、勝矢と命名されたそうです。
 勝矢祭は、この故事に由来しています。

武者行列その壱  武者行列その弐

 勝矢祭では武者行列(献矢行列)が行われます。
 端午の節句の日に行われる祭事らしく、行列の先頭は小さな子供たちでした。その後にマーチングバンドや地元の高校の剣道部・弓道部、そして鎧兜姿や裃姿の武者行列が続きます。

藤まつり - 水紀行(東京その壱亀戸)


 天満大神(菅原道眞公)、天菩日命(菅家の祖神)を奉祀する亀戸天神社は、一般には広く「亀戸の天神さま」「亀戸天満宮」と呼ばれていますが、古くは東宰府天満宮、本所宰府天満宮、あるいは亀戸天満宮と称され、明治六年に東京府社となってより亀戸神社と号し、昭和十一年亀戸天神社と正称されるに到ったそうです。
 年中行事のひとつとして、毎年4月29日「藤花祭」、5月5日「藤まつり」の日を中心に藤まつりが行われています。
亀戸天神社と藤まつり

亀戸天神社御社殿  亀戸天神社参道

 亀戸天神社は、正保年間、九州大宰府天満宮の神人菅原信祏が菅公ゆかりの飛梅で神像を刻み、社殿建立の志願をもって諸国を廻り、寛文元年(1661年)江戸の本所亀戸村にあった天神の小祠に奉祀。時あたかも徳川幕府の本所開発にあたり、天神様を崇拝すること篤かった将軍家綱は現在の地に社地を寄進。寛文二年(1662年)に大宰府の社にならい社殿などを営み、以来今日まで東国天満宮の宗社として尊崇されているそうです。

藤まつりその壱  藤まつりその弐

心字池の上に造られた藤棚に藤の花が満開でした。太鼓橋、そして回廊から観る藤がやはり美しかったようです。

水神森 - 水紀行(東京その壱亀戸)


 水神森の名は、かつては都電の停留所、現在はJR亀戸駅の東口「亀戸サンストリート」前のバス停にその名を残していますが、その碑が亀戸水神社にあります。遠い昔、川の流れから開墾地を守るための堤の上に大きな森が広がっていたのでしょう。今はその面影を偲ぶことは全くできません。
亀戸水神社

亀戸水神社御社殿  水神森の碑
 亀戸水神社は、享禄年間(約500年前)にこの地を新田開墾する際、水害を逸れんために堤上に勧請されたとのことです。一時期、亀戸香取神社の末社としてその場を移しますが、昭和35年に現在の地に再建されたそうです。

亀戸水神社御由緒記  再建記念碑
 御由緒記よれば、水神さまとは「ミズハメノ神」であり、「水」に関する一切の御神徳を受けられ居られるとのこと。亀戸香取神社宮司の名により再建記念碑が建てられています。
 利根川や荒川など関東の水のほとんどが流れ込んでいたこの地は、たびたび水害に襲われていたのでしょう。堤上に水神さまを勧請した人々の自然に対する畏敬の念を感じることができます。

 亀戸水神社が再建された昭和30年代といえば、日本は高度成長期の真っ最中で日本人がどんどんその内に野蛮さを蓄えていた時期です。そんな時期になされた亀戸水神社再建は、既に古くに開発が終わった都会の成熟した価値観からなのかもしれません。
 亀戸の現在の街並みを観ると、いよいよ再開発の波が押し寄せてきているようでした。大規模再開発は行われなくても、新たな住民の流入は避けられないでしょう。亀戸香取神社を大切に守り、亀戸水神社を再建した心の豊かさが保たれることを願ってやみません。

(参考資料) 亀戸香取神社御由緒記・亀戸天神社御由緒記・亀戸水神社御由緒記


より大きな地図で 日本の名水 水紀行 - 東京亀戸 を表示


TOP PAGE > 水紀行 > 東京その壱 亀戸



MAIN MENU
CUSTOMIZED SEARCH
名水・湧水にカスタマイズされた検索エンジンです。
SPONSORED LINK