いきたみず・くるり [ 地下水 ]
「久留里の生きた水」と呼ばれていましたが、平成の名水百選選定時に「生きた水・久留里」とされます。久留里城下、久留里市場に散在するいくつもの井戸。久留里は水の豊かな町です。
詳細
上総掘り
「上総掘り」で有名な自噴井戸が町の各所に点在しています。自噴井戸ですので、雨天時でも雨水混入の懸念は引水過程での危惧のみで、湧水に比べれば低いでしょう。
町内に散在する井戸総てが一般に開放されているわけではありません。また井戸には掘抜井戸(元井戸)と余水用井戸(共同井戸)の2種類があります。久留里街道沿いにあるのが掘抜井戸で、新町にある井戸が余水用井戸だと思えばほぼ間違いないでしょう。
一般に開放されているのは、掘抜井戸では「佐久間商店前井戸」「藤平酒造所有井戸」「高澤氏所有井戸(高澤家の水)」「川名氏所有井戸(雨城庵の井戸)」、余水用井戸では「岡山宅横井戸」とされています。一般開放されている井戸のみでの取水が望ましいようです。
「平成の名水百選」に選定される
「久留里の生きた水」が、環境省選定「平成の名水百選」に「生きた水・久留里」として選定されました。
久留里にはもう何度足を運んだでしょうか。最初に訪ねたときは君津市から車で向ったのですが、山中の狭い道を通り、久留里市場を南北に通る国道に合流する直前に離合不可能な1車線になり、以降車で向かう際は木更津市からの国道を選択していました。最後に足を運んだときはJRを利用しましたが、そのJR久留里線の起点は木更津駅です。
しかし、久留里城の城下町として栄えた久留里市場は君津市なのです。
なぜ所在市町村にこだわるのか、それには理由があります。環境庁時代の「名水百選」に選定された「名水」の多くは、所在市町村の考え方によって、選定から時を経た今、その状況に大きな違いが生じているからです。
君津市のウェヴサイト
君津市のウェヴサイトに「久留里の銘水」というページがありました。今回の「平成の名水百選」の選定を受けた上での情報です。
以下、その「久留里の銘水」を紹介するページからの引用。
城下町として栄えた久留里のまちで昔から生活に密着してきた「久留里の水」は、 上総掘りの自噴井戸による地下水です。 久留里地区では、飲料用を中心に約200本の井戸が確認されており、この水を使った酒蔵が5カ所あるなど、現在でも町に暮らす人々の生活に密接に関係しています。 また、自由に水汲みのできる自噴井戸が町の中に6カ所あり、県内各地から多くの人が水を汲みに来ています。地下400m~600mから自噴している水は、土壌菌等を含んだ「生きた水」で、地元の観光協会を中心に水質検査等を行い、安全安心な水として保全活動に力を入れています。このたび、千葉県下では唯一「平成の名水百選」に選ばれました。
さらに、そのページには「平成の名水百選」についての記述もありました。以下、その部分の引用。
・平成の名水百選
環境省では、今年7月に環境問題が主要議題の一つとして開催されることが予定されている北海道洞爺湖サミットにちなみ、水環境保全の一層の推進を図ることを目的に、昭和60年に選定した 「名水百選」に加え、新たな名水、「平成の名水百選」を選定しました。
このページは君津市の経済部商工観光課のサイト内にあったものです。紹介文の中には、久留里の酒蔵についての具体的な記述もありました。君津市としては、「平成の名水百選」の選定目的を理解していながらも、「久留里の生きた水」を観光資源として選定を望んだ事は明らかですが、それ自体は決して非難されるべきことではないでしょう。
一般的に、湧水を保全する責務はその湧水が水道水源として使用されていない限り生じません。市町村にとって「平成の名水百選」は観光資源以外いかなる意味も持ちません。従って、経済関係部以外に対応する部は存在しません。そのような状況の中で、観光資源としながらもこの「名水」の清冽さを守っていくには、地元の人たちの地道な保全活動の存在が必須条件となるでしょう。市町村はそれにいかに協力できるかが問われます。それが君津市で実現できるのかどうかが問題となるのです。
では、久留里における名水の保全活動はどのような状況なのでしょうか。
「久留里の生きた水」の誕生
久留里市場の井戸の歴史は古い。当初、小櫃川河岸に集落が発生し、汲み井戸が掘られることにより現在の街並みが形成されました。
大井戸と呼ばれる井戸は寛永年間(1600年頃)、そして上町横手通りの山麓に横穴を掘って清水を集めた「竹とよ」は嘉永年間(1850年頃)、上町と呼ばれる地区では8ヶ所の余水桶に給水し共同で利用しました。明治15年に、大村安之助氏が掘り抜き井戸(上総掘り)を完成させてからは、市場各所で深井戸が掘られ約二百か所もの自噴井戸が点在するそうです。久留里街道沿いの本町内だけでも40箇所以上の掘り抜き井戸が各家庭にあり、その内6箇所が一般に開放されています。
この水の豊かな街に人々が水を求めて訪れだしたのは比較的最近、1990年頃からのようです。「久留里の生きた水」という命名はさらにそれより後。商店街振興組合は振興策として、「里見氏そして黒田氏が築いた三万石の城下町、城の山里」を観光資源にする思いがあったようですが、にわかに有名になった「水」をその方策とする方向に転換し、その中で「久留里の生きた水」という呼び名が生まれたと、読売新聞の2001年の記事の中に記述があります。
「生きた水」の由来
房総半島南部の房総丘陵にある久留里の水は、三石山系の森と粘土・砂などが規則正しく積み重なった地層に濾過され地下水脈を通ってあふれ出してきます。その水は炭酸やミネラル、乳酸菌などを豊富に含んだもので、それゆえに「生きた水」と呼ばれるようになったそうです。
地元の人たちと水の関わり
「久留里の生きた水」を紹介する際に必ずといってよいほど名前が挙げられる「高沢(高澤)家の水」。その高沢家の方の言葉を紹介した記事を見つけました。以下、読売新聞記事からの引用。
門前に木の水槽を置き、竹の樋(とい)を通して、井戸水を流している。「ご自由にお飲み下さい」との札がうれしい。それでは一口。まろやかでつるりとしたのどごしだ。
「うちの井戸は、昭和六年(一九三一年)に掘った深さ四百八十メートルの井戸です」と高沢さん。君津地方伝統の上総掘りの技術を使って掘られた井戸は、三メートルほどの高さにまで噴き上がり続けている。高沢さん方は、飲み水から池の水までこの水を使う。「これが当たり前と思っていますから」。門前の水は、道行く人へのいわばおすそ分けなのだ。
水くみ客の中にはマナーの悪い人もいる。だが自然の恵みを感じてもらえるのなら、と井戸の開放をやめるつもりはない。
久留里の水は、住民の人たちに密着しています。君津市市役所の水道局のページで確認して驚いたのですが、実はこの久留里地区一帯は君津市水道局からの給水を受けていません。この地の自噴井戸の水だけで、飲用水をまかない、米を作っています。さらには、給水を受けていないにも関わらず水道局に井戸のひとつを提供しています。
「久留里の生きた水」は守られるであろう
「久留里の生きた水」を観光資源とすることは、久留里の人たちの中でも望んでいる人が多いように選定後の報道からは感じられます。本当のところはわかりませんが、住民総意ということはありえないでしょう。しかし、街の活性化を望む気持ちはやはり多数派意見ではないかと思います。
久留里地区は、君津市水道局から給水を受けていないだけでなく、通常簡易水道という言葉で表現されるような管理すらも受けていません。つまり、久留里の自噴井戸の水の管理について行政は何ら責務を持っていないのです。他の地区へ水を供給するために久留里地区から提供を受けている水道水源としての井戸1本を除いて。この状況は市町村合併での過渡期的なものなのかもしれませんが、少なくとも現時点「平成の名水百選」に選定された時点ではこのような状況の中に「久留里の生きた水」は置かれています。
「久留里の生きた水」は守られるでしょう。水の清冽さを守っていくのはその地域に住む住民の保全活動が必須条件です。これがなく「名水百選」などに選ばれ、外から人々が訪れるようになれば必ずと言ってよいほど、その水は汚れていきます。久留里地区は「久留里の生きた水」がまさに自分たちの生活するために必須となる水なのですから、決して汚すわけにはいきません。だから観光資源とすることを受け入れたとしても、水の清冽さを守りぬくでしょう。
上水道の管理は地方自治体が負う責務です。毎年水質調査を行わなければならなりません。
環境省には日本各地の湧水、地下水の水質調査をする気は全くなく、地方自治体にはその業務を担当する部はないに等しい。地方自治体には期待しないほうが良いだろうと「名水百選」に選定され時を経た地域の人たちは一様に言うことでしょう。
「久留里の生きた水」の水質調査は、毎年一回、市観光協会によって行われています。
(2008/初秋 投稿記事 再投稿)
リンク
水紀行
水紀行千葉その六 久留里の生きた水(久留里の銘水) – 日本の名水
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平成の名水百選 | 日本の水をきれいにする会 (編さん)
アクセス
千葉県君津市久留里市場
JR内房線「木更津駅」経由、JR久留里線「久留里駅」下車