水紀行 - 千葉その五 国府台羅漢の井
国府台は、東京都と千葉県の境を流れる江戸川に面した市川市にある高台。万葉集に詠われ、古戦場ともなり、北原白秋ゆかりの地でもある歴史ある場所です。
今回は、「真間の井」「羅漢の井」そして「じゅん采池公園」を目指し、JR市川駅からその歩を始めました。
かつて国府台高校に通っていたので、この地は勝手知ったる馴染みある場所あるはずなのですが、久々の訪問でどのように変貌しているのか興味津々です。
市川駅前
南口はやっと再開発されたようです。昔はごみごみしていた場所に高層マンションが建設されています。
北口駅前に「いちかわ文学の散歩道」という案内板がありました。急激に発展した市川市もだいぶ成熟してきたようです。画像では読めないと思いますので、市川市役所サイトの「いちかわ文学の散歩道」のページのリンクを貼っておきます。これが、市川駅から国府台への道です。
いちかわ文学の散歩道 - 市川市役所
http://www.city.ichikawa.lg.jp/common/000032245.gif
北口から大門通り方向へ。文化祭の打ち上げなどによく使った「サイゼリア」があります。大企業になった今も、この小規模店舗は健在でした。多分ここが2号店で、最初の店は本八幡一番街にある店でしょう。
「勝鹿の真間の井を見れば立ち平し、水汲ましけむ手児奈し思ほゆ」と万葉集に詠われる「真間の井」。「勝鹿」とは「葛飾」。国府台のふもとの亀井院にあります。「いちかわ文学の散歩道」は大門通りですが、その一本東の道から「真間の井」へむかいます。
手児奈橋
真間川の上に架かる「手児奈橋」。真間小学校の前にあるこの橋は、架け替えられていました。新しい橋には、「真間川を魚の棲める清流に」という石碑が建てられ、橋の中程と脇に親水テラスが造られています。
真間川は今でも決してきれいな川とは言えませんが、昔に比べれば少しはましになったように思います。周辺の湧水を集める川ですが、乱開発が進行中だった頃には、本当にドブ川でした。
継橋と真間万葉顕彰碑
「継橋」が架かる場所に今、水の流れはありません。水の流れていない水路の跡だけが残っています。かつて、この一帯は東京湾の入江で、その中州の間に架けられた橋だったそうです。
真間万葉顕彰碑は高さ1mほどの石でつくられた角柱で、万葉集の真間の地を歌った歌のうち3首のゆかりの場所に建てられています。
「われも見つ人にも告げむ葛飾の真間の手児名が奥津城処」
「勝鹿の真間の井を見れば立ち平し水汲ましけむ手児奈し思ほゆ」
「足の音せず行かむ駒もが葛飾の真間の継橋やまず通わむ」
真間の井
「真間の井」は亀井院にあります。亀井院は万葉集ゆかりの地だけではなく、北原白秋が住んだことがあり、「蛍飛ぶ真間の小川の夕闇にえびすくふ子か水音立つるは」という歌を残しています。
真間の小川には、大正時代には蛍が棲息するほどの清冽なる水が流れていたとは驚きです。本当に僅かの間に人は水を汚し、さらには枯渇滅失させてしまったのですね。小川はどこにいってしまったのでしょう。清冽さは失っても、せめて湧き出してさえいてくれたらと思います。
「真間の井」は、かつては井戸ではなく湧水であったようです。写真は「真間万葉顕彰碑」です。亀井院の裏に現存しているとは知らずに写真は撮って来ませんでした。「真間の井」を紹介したサイトへのリンクを貼っておきます。
真間の井 - 万葉の故地
http://www2.odn.ne.jp/cbm54970/12mamanoi.html
京成本線「国府台駅」までたどり着きました。ここはまだ町名でいえば市川市市川。
国府台は、かつて明治時代には大学校(東京大学)を設置しようという計画もあったそうです。一旦は陸軍が利用しますが、現在は学校が集まる学園地域となっています。
坂を登り、その学園地域を抜けて、目的の場所、里見公園にある「羅漢の井」へと向います。
国府台駅前
駅前には高層マンションが建っていて、和菓子屋「望月」さんは、そのマンションに店を出していました。昔ながらの商店街の面影は残しつつも、やはり国府台駅前は大きく変わっていました。
上り坂の手前にある、お世話になった中華料理屋「好栄」は残念なことに廃業していました。全員同じものを注文しないといけないわがままな店。でも安くてうまかった。行く前に注文する料理をみんなで決めながら向った事を懐かしく思い出します。
学園地域
坂道の途中に和洋女子大の高層校舎がありました。かつては低層の校舎だったのですが。
そして坂を登りきり、市川市スポーツセンターの前が和洋女子大と和洋女子高の正門。
スポーツセンターの陸上競技場側から観た千葉商科大学。陸上競技場は、アンツーカーからオールタータンに改修。遠くに国分の低地が観えます。もう外環自動車道の工事は始まっています。
千葉県立国府台高校
我が母校、国府台高校。校舎はほぼ全て建て替えられていました。講堂は、体育館をかねて新築。
かつて使っていた戦前の陸軍兵舎はなくなり、体育館も場所を移動しグランドがやけに広くなっています。
校内に「国府台高校雨水貯留浸透事業」なる説明版を見つけました。雨水がアスファルトを表流せず地下に浸透するためのしくみだそうです。
洪水を防ぎ、地下水を補給し、湧水を増やし、河川に流れ込む水をきれいにするのが目的で、ここだけではなくこの丘陵各所で行われているようです。
国府台学園地域には、このほか東京医科歯科大学、筑波大学附属聴覚特別支援学校、市川市立第一中学校があり、まさに学園の集まる地域です。
里見公園前の道を江戸川方向に下った場所にある「羅漢の井」。雑誌に紹介されたこともある有名な湧水です。
里見公園
国立国府台病院前が里見公園への入口です。ここから里見公園までの道は桜並木で、公園内も桜の名所。春にはにぎわう場所です。
里見公園は、戦国時代の国府台城址であり、また古墳時代の史跡もあります。
里見公園は、桜だけでなく様々な花の名所としても知られています。きれいに整備清掃された公園です。
羅漢の井と江戸川
取水施設が一新され、湧水量も増えているようです。「雨水貯留浸透事業」の効果でしょうか。前は、井戸枠のようなものに湧水が流れ込んで溜まっているだけの湧水だったのですが。市川市が成熟し、社会の環境に対する意識が変わったからでしょう。
ちなみに、ここの湧水はずっと前からそのままでは飲めません。
「羅漢の井」は江戸川のすぐそばにあります。市川駅方向のビル群と、松戸矢切方向の写真です。
全く人が住めない場所にあったからこそ、「羅漢の井」は生き残ったのでしょう。
国府台(市川市) - wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/国府台(市川市)
国府台から中国分へ下ったところにあるじゅんさい池緑地。水鳥が集まる自然が豊かに残された公園です。
蓴菜池公園
蓴菜池公園は細長い公園です。ここは南側の入口。一度、周辺の湧水が枯渇し池はなくなったのですが、市民の要望により復活させたそうです。
たとえ造られたものであっても、やはり木々や池は人の心を和ませます。たくさんの人が休日の午後のつかの間の時間をここで過ごしていました。
市川市は、戦中空襲を避けるため、東京から転居してきた人が多くいるそうです。京成菅野駅周辺には今も高級住宅地があります。戦前は都市化していなかった傍証となるでしょう。そして高度成長期に急激な発展期を迎えます。その時期に、湧水は滅失し、水は汚されたのでしょう。
今、市川市は外環道路建設という大事業が始まり、大きく変わろうとしています。そんな中で自然を残そうとする努力も続けられているようです。
遅すぎるということはありません。久々に訪ねてみた国府台を歩いてみて、少しだけ安心しました。良い方向へと発展していって欲しいものです。
京成バスは、低床バスになってもカラーリングは変わっていません。山崎製パン創業の地で、ヤマザキのコンビニがしっかりと営業していました。
市川・真間界隈 - 市川市役所
http://www.city.ichikawa.lg.jp/cul01/1551000030.html
国府台・国分界隈 - 市川市役所
http://www.city.ichikawa.lg.jp/cul01/1511000031.html
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