水紀行 - 神奈川その壱 秦野盆地湧水群
神奈川県西部、丹沢の山々と渋沢丘陵に囲まれた秦野盆地。環境省選定「名水百選」に選定されている「秦野盆地湧水群」があるところです。休日の早朝、小田急小田原線秦野駅に降り立ちました。「秦野盆地湧水群」を徒歩で巡る旅の始まりです。
渋沢丘陵の上にある震生湖まで行くつもりですが、登りきれるか自信はありません。しかし、湧水は徒歩でないとなかなかみつかりません。そしてその土地のことも何もわかりません。あえて徒歩での挑戦です。
ちなみに、今回の湧水巡りに「龍神の泉」や「葛葉の泉」は含まれません。これらの湧水は「秦野盆地湧水群」に含まれません。有名な「護摩屋敷の水」と同様に、丹沢山中の湧水です。「秦野盆地湧水群」とはすなわち「今泉湧水群」なのです。
まず最初は、秦野駅から歩いてすぐの場所にある湧水へ向いました。「秦野盆地湧水群」の象徴的存在、「弘法の清水」です。
弘法の清水と寿徳寺湧水
秦野駅北口を出て水無川沿いの道を右へ。ニッポンレンタカーの先の角を右に曲がるとすぐに「弘法の清水」が見えます。
秦野盆地湧水群の象徴的な存在でしょう。この湧水の写真をよく見ます。水質は劣化して煮沸しないと飲用には適さないようですが、私が行ったときには近所の方が水を取りにいらしていました。
清潔に清掃されていていたのは、この近隣の方々のおかげでしょう。
この「弘法の清水」から南へ進むと、寿徳寺というお寺があります。その寿徳寺の前を通り小田急線の踏切まで行き、踏切手前を左に曲がると「寿徳寺湧水」の木々が見えます。
この「寿徳寺湧水」は秦野市の水道水源なので実際の湧水地点まで行く事はできません。木々の生い茂った中に取水設備があるのでしょう。確認することはできませんでした。
いまいずみほたる公園
小田急線の踏切を越えて今泉台へ向います。この今泉台や隣接する南が丘は新しく出来た街です。ここ数年で大規模な宅地開発が施され、新しく道路も造られ久々に訪れたので変貌ぶりに驚いてしまいました。
その今泉台の一角にわずかに残された湿地が「いまいずみほたる公園」です。向原湧水の近くにありますが、ここは井戸から供給される水によって形成された湿地帯のようです。向原湧水は見つかりませんでした。
はたして本当にホタルはいるのでしょうか。公園の前には、この湿地に棲息する生物たちを説明するプレートが設置されていました。
さて、いよいよ山登りです。震生湖へ向います。
秦野盆地湧水群、今泉が一望に見渡せる震生湖のある丘に登りました。ここからは、さらに秦野盆地全体、そして「龍神の泉」や「葛葉の泉」のある丹沢の山々も見渡すことができます。
震生湖から観た秦野盆地湧水群
この丘は渋沢丘陵の一部と呼んでいいのでしょうか。広い範囲で観れば、南端は大磯町にある湘南平から、北端はこの地まで広範囲に広がる西湘の丘陵地帯です。
登り道はかなりきつかったです。ぜひ、便数は少ないですがバスを選択することをお勧めします。しかし、たかがこのくらいの丘でも登りきった後に見えた景色にはその過程を含めて十分満足に値するものでした。
眼下に湧水の地「今泉」が見えます。そして視線を先に伸ばせば、秦野盆地全体そして丹沢山地が広がります。
「震生湖」はその名の通り地震によって生まれた湖です。最近よく耳にするようになった「せき止め湖」です。
西湘には確認されている活断層がいくつかあります。一番有名なのは国府津松田断層帯でしょう。大磯の湘南平の北側にも生沢・小向断層が確認されています。
そしてこの「震生湖」の下には渋沢断層。さらに秦野盆地には秦野断層が確認されています。
この秦野断層こそが「秦野盆地湧水群」が生まれた原因です。地表面にまで達した断層から丹沢の伏流水が溢れんばかりに湧き出している。これこそがかつての「秦野盆地湧水群」の姿なのです。
すこし南に下った場所に震生湖はあります。渋沢丘陵の水を静かに湛えていました。渋沢丘陵東側の水は中井町方向へ。渋沢丘陵西側と秦野盆地西側の湧水は松田町方向へと流れ酒匂川へ合流します。今泉の湧水は、平塚方向へ流れ花水川から太平洋へ。
秦野盆地周辺の湧水は三つの方向へと流れていきます。
震生湖に別れを告げ丘を下り今泉に向いました。下りがまた足をいじめます。ヘトヘトになって丘を下って、さあ湧水を探します。案の定、なかなか見つかりませんでした。結局、日が暮れるまで湧水を探し続けることになりました。
白笹稲荷神社と一貫田湧水
白笹稲荷神社の湧水はすぐみつかりました。道に面して新しい鳥居があり、そこから奥へ入っていくと白笹稲荷神社の本殿前の鳥居が左手に見え、その前に竹筒を横に通してその竹筒から滴り落ちるように湧水が流れ出ていました。
一貫田湧水は白笹稲荷神社のさらに奥にあります。秦野市の水道水源であるために実際の湧水地点までは近づけません。鬱蒼とした木々の中に取水設備らしきポンプのような設備を確認できました。
今泉湧水群
今泉の地は、本来湧水が湧き出すような場所ではありません。関東地方の平野部の湧水は、関東地方独特の谷戸地形から湧き出しています。しかし今泉には谷戸はありません。秦野断層南端の断層面からの湧水なんですね。だから大量に湧き出していたのでしょう。
今泉名水桜公園の石碑と案内板。この二つの写真はまだ明るい時に撮った写真です。実は震生湖に登る前、「いまいずみほたる公園」側からの写真です。二つの公園はすぐ近くにあります。
それにしても大きな湧水池です。この池は、最近の宅地開発のために造られたわけではなく、もっと昔からあるそうです。
おそらく溢れんばかりに湧き出してくる湧水は大きな湿地帯を形成し、「使い物にならない」土地だったのでしょう。湧水の流れを制御し新田開発のために池は造られたのだろうと想像します。
「どうめいの泉」は本当に探すのに苦労しました。今泉は今泉台とは違い、昔の田んぼ道がそのまま舗装されたような道ばかりで、複雑です。やっとのことで、マンションの北側の駐車場の一角にある公園の中に「どうめいの泉」をみつけました。
この「どうめいの泉」は、かつて存在し無計画な乱開発により滅失してしまった「どうめい湧水」を、秦野市が自噴井戸として復活させ、水質が改善されたのを確認した上で公開されたものです。同じような調査を秦野市は何箇所かで行っているようで、この湧水を探している最中に同じような井戸をいくつか確認しました。
「まいまいの泉」はすぐみつかりました。秦野市南公民館の敷地内にあります。何組かの方が取水にいらしていました。
小藤川湧水。この湧水も見つけるのにとても時間がかかりました。たどりついた時には陽は沈んでいました。写真はコントラストを上げているので実際はもっと暗く、この時点で「荒川湧水」は辿りつけないだろうなとあきらめました。湧水は事前に場所を調べていってもやはりなかなかみつかりません。それだけに見つけた時にはとても嬉しいのですが。
この湧水には取水設備はありません。どうやら、下流に残された田畑のためにその水源として残されているようです。
やはり計画は無謀でした。秦野駅近くの荒川湧水を探そうとしたときには、陽はとっぷりと暮れていました。
荒井湧水
目にはあれが「荒井湧水」であろうという木々のある場所が観えます。しかしもう写真には写りません。しょうがないので、その方向から「南口せせらぎ」へと流れていく水路の写真を撮りました。この水路の先に「荒川湧水」はあります。
水路の水量は豊富でかなり豊かな湧出量を誇る湧水なのでしょう。
秦野駅南口せせらぎ
そして出発の地、小田急線秦野駅の南口に帰ってきました。「秦野駅南口せせらぎ」を流れる水量は極僅か、というかほとんど流れていません。どういうことなのかわかりませんが、せっかく造った設備がもったいないですね。遅きに失した感はありますが、発想としてはとてもよいと思うのですが。水路をめぐらして、水の街にすることもできたでしょう。
秦野市はとても閉鎖的なところだと聞いていました。知り合いに、結婚して婿として秦野市今泉に転居し離婚して今は秦野市を出た人間がいたので思い切って聞いてみました。「そこを聞くか」というような反応で、「まあ、若い頃だからあまり気にしなかったげどな」とあまり多くは語りません。やはり辛かったのでしょうか。
一般的に閉鎖的な社会というのはマイナスのイメージで捉えられがちですが、その中がとてもバランスがとれているからこそ外から閉鎖的に感じられるという見方からすれば決して悪いことではないでしょう。秦野市は三方を山に囲まれ唯一山越えなしで行けるのは平塚のみです。小田急線により厚木市や横浜市との関係の方が強いように思われがちですが、今なお平塚市との関係の方が強いでしょう。
神奈川県は、県域全体を中核市以上にしようという計画の中で、秦野市は平塚市と合併して、平塚・秦野の二極体制での中核市にという見解を持っています。
平塚市の工業地帯の衰退とともに、秦野市の工業も引きずられるように衰退していくでしょう。
どこと合併するにしても、秦野市はその地理的状況から独自の開発計画が必要となります。住宅地の大規模開発も市が発展していくには必要だったのでしょう。
ただ、大規模宅地開発された今泉台・南が丘の街並みはどこにでもあるような景色でした。「秦野盆地湧水群」の源である地下水の水質を改善させようと努力し、環境省の名水百選のページを書き換えさせる程の結果が得られているのであれば、もう少し違った方向性があったのではないかと残念です。
実際のところ、秦野市が行った事は市民の水道水の水源である地下水の水質改善であって、秦野盆地湧水群を復活させようとした訳ではありません。
名水百選「秦野盆地湧水群」として評価は客観的に見ても下がっているのではないかと感じました。はっきりと言ってしまえば、今の秦野市の「秦野盆地湧水群」にはなんの魅力もありません。
一般的に閉鎖的な社会というのはマイナスのイメージで捉えられがちですが、その中がとてもバランスがとれているからこそ外から閉鎖的に感じられるという見方からすれば決して悪いことではないでしょう。秦野市は三方を山に囲まれ唯一山越えなしで行けるのは平塚のみです。小田急線により厚木市や横浜市との関係の方が強いように思われがちですが、今なお平塚市との関係の方が強いでしょう。
神奈川県は、県域全体を中核市以上にしようという計画の中で、秦野市は平塚市と合併して、平塚・秦野の二極体制での中核市にという見解を持っています。
平塚市の工業地帯の衰退とともに、秦野市の工業も引きずられるように衰退していくでしょう。
どこと合併するにしても、秦野市はその地理的状況から独自の開発計画が必要となります。住宅地の大規模開発も市が発展していくには必要だったのでしょう。
ただ、大規模宅地開発された今泉台・南が丘の街並みはどこにでもあるような景色でした。「秦野盆地湧水群」の源である地下水の水質を改善させようと努力し、環境省の名水百選のページを書き換えさせる程の結果が得られているのであれば、もう少し違った方向性があったのではないかと残念です。
実際のところ、秦野市が行った事は市民の水道水の水源である地下水の水質改善であって、秦野盆地湧水群を復活させようとした訳ではありません。
名水百選「秦野盆地湧水群」として評価は客観的に見ても下がっているのではないかと感じました。はっきりと言ってしまえば、今の秦野市の「秦野盆地湧水群」にはなんの魅力もありません。
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