[ 湧水 ] 横浜の山の手にある湧水。
打越の霊泉
詳細
最初、この場所に飲用可能な湧水が存在すると知って驚きとともに少々疑ってもみました。これは実際飲んでみるしかないと思い、頻繁に石川町に行っていた頃、実際に飲んでみました。少なくともお腹をこわすようなことはなかったので、飲用可能でした。しかし、自然水は日々水質が変化するといっても過言ではないので、飲用は自己責任でお願いします。
考えてみれば、江戸時代末期まで、横浜はその周辺だけに与えられた名称「横浜村」でした。今の中華街付近から海側はすべて埋立地で外国人居留地ができ、打越の霊泉付近は山の手として高級住宅地だったのでしょうか。
打越の霊泉を語るときに、「大正12年の関東大震災のときや、昭和20年の横浜大空襲の際も多くの市民が喉を潤しこの水で救われた」という記述や、「開港当時、外国船に飲料水の供給を 行った」という記述をみかけますが、それはすなわち急速に発展した横浜市の飲用水をまかなうには、付近の湧水では不十分だったということの傍証になるでしょう。
事実、明治6年(1873年)には多摩川から横浜上水が引かれ、明治20年(1887年)には日本での最初の近代水道がイギリス陸軍の工兵中佐H.S.パーマーの指導により近代的な上水道・下水道が整備されています。
コレラ・チフス・赤痢など消化器系の伝染病が蔓延したことがきっかけとなったそうです。この時、水源とされたのが相模川と道志川の合流点の水で、以来今日に至るまで、横浜市は山梨県の道志川の水利権を保有することとなっています。
ちなみに、道志村は水利権を横浜市が保有していることを理由に横浜市との合併を提案したことがあるそうです。都道府県を越えた市町村合併は、隣接する場合でもごく稀なことですが、道志村と横浜市の合併とは、荒唐無稽な話です。
しかし、それよりも道志川の水利権を横浜市が持っていることの方が荒唐無稽な話なのかもしれません。
都市の水を湧水でまかなうのは所詮無理なのでしょう。多摩川の水でも無理だったようです。しかし山梨県の水を横浜まで運ぶとは、都市における水問題の根深さを感じずにはいられません。
とまれ限定的な地域における急激な発展によって、「打越の霊泉」は現在まで保全されました。都市部に残る貴重な貴重な存在です。
参考資料
リンク
アクセス
場所:神奈川県横浜市中区打越
JR石川町駅から徒歩10分
より大きな地図で 日本の名水 神奈川県 を表示